あの夏の終わりに 

prologue

 雲一つ見当たらない8月9日の昼休み、河村(かわむら)(たか)(ひさ)は空に向かってため息を吐き出した。

「今日何回目だ?ため息。まあため息も出るわな〜。」

(あきら)、トキメキがほしいんだよ・・・わかる?」

「トキメキね・・・まあ俺にはよくわからんし、それに・・・それに受験生には必要ないだろ!」

黒澤(くろさわ)(あきら)は笑いながら煙草の煙を吐き出した。

そう、彼らは不幸にも大学受験に失敗し、k予備校で浪人生活を満喫している真っ最中なのであった。

「次、授業何よ?」

孝尚は鞄から時間割を取り出し、ため息をついた。

「英語っす・・・」

「うわ〜!いらね〜。なぁ、俺次でないからどっかいこうぜ?」

孝尚は時間割を鞄にしまいながら答えた。

「行くか。」

 カツン、カツン、という音と、人の声、BGMにはルーシー・シンドローム、聞きなれた音の集まり。日のあたらない地下独特の涼しさ、そして静かな感じのする匂い。それらすべての中に身をうずめ、外の世界と切り離された感覚を味わうことができるプールバー“ウエスト&クラブ”。孝尚はいつものように8番台の前に座り、マクダモッドのキューを組み立てながら煙草をふかす輝を見つめていた。輝とは高校からの付き合いで、けして長いとは言えないがなぜか気がつくといつも一緒に行動していた。

「あの・・・」

突然誰かに話しかけられ、俺はすぐには反応できずキョトンとしていると、その女は再び声をかけてきた。

「あの、河村くん?だよね?私のこと覚えてる?倉田(くらた)小夜(さよ)(み)。村井中学の・・・」

「あ!小夜先輩っすか!?久しぶりっすね!」

「よかった〜。忘れられてるかと思った。河村君、ぜんぜん変わらないね〜。」

「そうっすか?先輩も・・・そんなに変わってないっすよ?」

本当は誰だか全くわからないほどの変わりようだった。昔はもっとふっくらしていて、どちらかといえば暗い感じに見られがちだったのだが、女にうるさい輝でさえ飛びつくであろう美しい容姿と、活発な雰囲気が俺の記憶を混乱させた。

「先輩、ところでこんなとこになんでいるんすか?彼氏と一緒とか?」

「・・・正確にはちがうんだけど・・・」

「好きな人?」

「そんな感じかな?いろいろあるのよ・・・ね、そんなことより折角会ったんだし番号とかおしえてよ。今度また昔みたいにゆっくり話したいし・・・」

小夜美の顔に少しだけ陰りが見えた。そのときはさほど気にもとめなかったのだが。

「おい孝尚〜。あれ誰よ?」

小夜美が消えてから輝が話しかけてきた。

「村井中学の先輩。きになるか?」

「不快だね・・・」

「何が!?」

「あんな可愛い子とおまえが知り合いだなんて。」

「紹介はしないぞ?」

「だからだよ!」

輝に女を紹介するとろくなことがない。女癖の悪さだけはぴか一で、俺はクレーム処理係を何度もさせられたのだ。だから最近では輝には女は紹介しないことにしているし、輝もそのことは十分に理解していた。

「そろそろあがるか・・・」

「そうだな。自習室でもいくか。」

そして俺と輝は現実への扉を開けた・・・未来になど何の希望も見出せずに。

おい!孝尚!おまえどこ行ってたんだ?」

予備校のロビーで突然こえをかけられた。中田(なかた)智恵(ちえ)、同じクラスの女で変に真面目で、何かと口うるさい。

「おまえにゃ関係ないだろ?で、何かようか?」

「なに〜!英語の時間いなかったからプリント貰っといてやったのに、そんなこと言うならあげないよ〜?」

「あ〜、ごめんごめん・・・サンキュー!」

「あ、ちょっとまって!」

プリントを受け取って立ち去ろうとした俺の袖をつかんで、智恵は俺を引き止めた。

「あ、孝尚今日何時ごろ帰る?あのね、今日クレープの日なの知ってるでしょ?だから一緒に食べて帰らない?あ、もちろん嫌ならいいんだけど・・・」

「おっ!今日はクレープの日だった!いいね、輝も来る?」

「孝尚のおごりなら。」

「じゃあ輝は来ないってことで。よし、知恵、行くか。」

「輝君ほんとにいいの?」

「ま、孝尚が奢ってくれないならまっすぐかえるさ。きにすんな、邪魔したりしないから。」

輝はよくわからない冗談を残して帰っていった。

『私、孝尚が好き。』

智恵の声が頭の中で駆け巡る。街の明かりに照らされた智恵の透き通る白さの顔は、うっすらと赤みがかっていた。なにも答えられず、ただただ立ち尽くす俺に向かって、智恵は続けた。

『答えがほしいわけじゃないの。ただ、伝えたかっただけ。それだけ…』

そして立ち去る智恵。

このシーンだけが幾度となく繰り返される。家に帰り部屋に入りベッドの上で寝転んだまま、孝尚は天井を見つめていた。

もう寝よう、寝れば忘れる。そう言い聞かせて3時間、事態は一向に好転しなかった。

「ピロリロリロリロ・・・」

突然頭の上で携帯が鳴った。小夜美さんからだった。

『明日また会えない?』

それだけのメール。俺はただ正直に返事を書いた。

『夜ならいいよ。』

そして今まで寝れなかったことが不思議なくらいすぐに眠りに落ちていった。

 夢を見ていた。昔付き合っていた女が出てきて、なぜか彼女と体を重ねていた。心地よい体温とその温もりで心が安らぎ、それでいてどこか虚しい気持ちにおそわれながら、それも幸せだと言った。彼女は寂しそうに微笑み、彼女の体は少しずつ色を無くしていく。

真夏の朝の太陽の光と、感覚を麻痺させるように耳にまとわりつく蝉の鳴き声で目が覚めた。ひどく不快な朝だったが、シャワーを浴び、寝汗を流して予備校へ行く準備を済ませ、家を出た。テレビから今日のみずがめ座は運勢が悪いことを告げるこえが聞こえた。みずがめ座はいつだって運勢がわるいような気がする。いつものことだ。

 「おはよう!席とっといたよ〜。」

教室にはいつものように智恵がいた。何故こんなにも普通でいられるのだろう。どうしようか迷った結果、「おう。」と、一言答えて笑うことにした。もっとも自然に体に染み付いた笑顔が勝手に出てきただけなのかもしれないが・・・そんなことはどうでもよかった。

ただ流れに身を任せればいい。それだけ。そして一日が終わった。

「ごめ〜ん、まった?」

「いいや、俺も今来たとこ。」

「よかった。電車一本乗り損ねたから。ねえ、河村君夜ご飯食べちゃった?」

「食ってないよ。どっかいく?」

「よかった〜。じゃあ行きたいとこあるの。そこでいい?」

「おっけー。」

晩飯を食べながら、俺たちは昔話に花を咲かせた。

「そういえば昔ね、河村君のこと好きな子がいたのよ。」

突然小夜美さんが言い出した。

「河村君知らなかったでしょ。」

「全然・・・」

いつの間にか食べることを止めてしまっていた。

「その子がね、あるとき私に言った言葉、今も覚えてるわ。『好きだから、告白できない。彼の幸せを壊すことになるから。』それを聞いたときはたいして何も思わなかったんだけどね、今の私にはとてもつらい言葉なの。」

「何かあったんだ。」

久しぶりに会ったあの時感じた陰りが、再び彼女を包み込んだ。

「好きな人がいてね、でも彼には彼女がいたの。その人は彼女をとても大事にしてたから、忘れようとしたんだけど。それさえできずに好きだって言っちゃったの。それから歯車が狂いだして。彼は私のこと気遣って仲良くしてくれるんだけど。」

「気にすんなよそんなこと。ひとつの幸せのうらにある悲しみなんて数え切れないぜ?」

「ありがと。なんか暗い話になっちゃったね。」

「俺さ、小夜さんのことずっと好きだったんだ。」

突然、自分でもなにが起こったのかわからなかった。

気まずい沈黙。

「ピロリロリロリロ・・・」

突然の電話が沈黙を破った。

「ごめん、出ていい?」

輝からだった。

「孝尚、今どこにいる?」

「横浜だけど・・・」

「じゃあいいや。」

そういって輝は電話を一方的に切ってしまった。

「出よっか?」

「うん。」

輝に救われたんだろうか。とにかく帰りたい。

「さよなら。」

「今は・・・今も・・・私のこと好き?」

「えっ?」

「だったら・・いいなって・・・」

「どういうこと?」

「好きかもしれない・・かなって。」

「あ・・・」

お互いに見つめ合ったまま、時間は止まり、周りの時間だけは静かに流れ続けていた。

 いつのことだったか、もう忘れてしまった。公園のベンチに座って、色づいた木々の葉が風に揺れ、サワサワと音を立てるのを聞いていた。隣には長い髪を、そう、細くて柔らかな髪を風邪に揺らして、オレンジ色の空を見つめているあの人がいた。すべてがいやになっていた俺に、笑みをくれた人。彼女の笑顔はすべてを肯定していた。ただ、たった一度、そのときだけは、寂しげな笑顔と、涙を浮かべていた。そして彼女は立ち上がり、姿は小さくなっていく。一言だけ、彼女が残した言葉・・・

さよなら。

コーヒーとトーストのにおいで目が覚めた。見慣れない部屋。初めての朝。昨日、あれから俺は小夜美さんと・・・

「おはよー。朝ごはん、食べてくでしょ?」

エプロン姿の小夜美さんはなかなか新鮮だった。

「また今夜も来ていい?」

「じゃあ夕飯ご馳走してあげる。」

そういって彼女は微笑んで、いってらっしゃいのキスをしてくれた。

幸せは、永遠じゃない

思い知ったのは七日目の夜だった。たった一言で幸せは静かに崩れた。

『さよなら。』

「さよなら、か。」

青い空をみあげ、ため息をついた。今日も世界は回っている。

「おっはよ。孝尚、私彼氏出来たんだ〜。」

「あ、そう。」

「なによ。おめでとうとかないの?」

「どうせすぐふられるんだろ。」

「バーカ!!!」

ほんとの事をいえば、少し悲しくて、寂しかった。みんな離れていってしまった。変わらないものなんて無いんだ。世界が変わっていくのを、俺はただ見ているだけしか出来ないのか。

「結局そんなもんだろ。女なんてよ。」

輝が言った。

「そろそろ夏もおわりだな・・・」

「ああ。」

そういって二人は歩き出した。青い空の下、太陽は目もくらむほどに輝いていた。

「眩しいな。」

「何がだ?」

「なんでもないよ。」

「てゆうかさ、孝尚。がむしゃらなのも、悪くは無いと思うぜ?」

「譲れないものは・・・ゆずれねえってか。受験生なんだけどな〜。」

「今更何言ってんだか・・・」

「行ってくるか〜!」

自分に言い聞かせるように、俺は歩き出した。微かだが秋の香りがする風が、夏の終わりを告げていた。ただ願わくば、夏が終わる前に・・・


epirogue

僕は何を求めていたのだろうか。真実の愛とか。愛って何だろう。好きになること。好きな人はたくさんいちゃダメなのだろうか。まだ気づいてなかったんだね。だからダメなんだよ。

いつからなくしてたんだろう。大切な気持ち。あの夏の終わりに、取り戻したかったもの。

 

「孝尚君。」

「何?」

「次、孝尚君のばんだよ?」

「ああ、悪い悪い。」

「どうしたの?悩み事?」

「ボーっとしてただけだよ。サンキュー。さて、うわ・・・セイフティーだし・・・」

「お客様、お飲み物のサービスでございます。」

「あ、ありが・・・輝じゃん!!」

「よ。幸せそうだな。」

「ま、な。回り道しちまった。」

「では、こちらのカクテルは、お連れの方にどうぞ。」

「サンキュー。輝!小夜さ〜ん。これ、サービスだってさ〜。」

 

大切なもの、大切な場所、大切な時間(とき)そして、大切なひと。無くしたくないものがあるから、人は弱い。だけど、無くしたくないから強くなれる。




あとがき

今回の小説は連載しようかと思ってたんだけど、三月の読み通り全然連載じゃなくなってしまいました。まあぶっちゃけネタ切れなどにより、短くなってしまったのですが。それでも読んでくれた方々、ありがとうございました。もし今度また小説を書くとしたら、もっといいものをかけるといいです。今度はギャグ小説書こうかな・・・笑

special thanks

なんだかんだ三月・名前を参考にしたと思われる人たち・出演させらんなかったよ7・応援してくれた人たち・そして、俺の『いちばん大切なひと』

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